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■0282「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」

 本谷有希子原作、吉田大八監督長編デビュー作。むちゃくちゃ挑発的な題名だが、内容はさらに挑発的。家族劇を通じて悪意たっぷりに人間存在の闇をえぐる。第60回カンヌ国際映画祭批評家週間に正式招待されたのも、うなずける。
 女優を目指す自意識過剰な勘違い女・澄伽を演じる佐藤江梨子の切れっぷりも見事だが、その姉にいたぶられながらも、姉をテーマにホラー漫画を描き続ける清深を演じた佐津川愛美の屈折ぶりが、さらに見事だ。しかし、一番の名演技は、兄嫁役の永作博美だ。彼女の作る人形が恐ろしい。彼女の笑顔が恐ろしい。底抜けのお人好しにみえて怪物的な闇を抱えている。いや人間存在の闇と戯れている。彼女が切れたらどんな惨劇が起こるだろうと想像したら、とても怖い。おぞましい家族関係の重圧に押しつぶされる兄を演じた永瀬正敏は、見事に3人を引立たせていた。

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■0281「マリー・アントワネット」

 ソフィア・コッポラ監督の「マリー・アントワネット」は、並みの歴史映画ではない。マリー・アントワネットを、浪費家で傲慢な女性ではなく、淋しがり屋の可愛い女性として描く。映像は、まさにソフィア・テイスト。可愛らしいお菓子やドレスが次々に登場する。音楽もロックやポップが基調。それが、柔らかな映像と響き合う。
 ルイ16世役に甥っ子のジェイソン・シュワルツマンを起用する遊び心に満ちたソフィア・コッポラ監督は、既存のアントワネット像に挑戦するためキルステン・ダンストをキャスティング。アントワネットを普通の女の子に見せることに成功した。もともと、マリー・アントワネット像は、民衆の憎悪をかき立てるために、ねつ造されたもの。有名な「パンがなければお菓子を食べればいい」という言葉も、彼女の言葉ではない。歴史的な偏見から逃れるためにも、一見の価値がある。
 ケーキ好きの人は、映画を見る前にケーキを食べておいた方が良い。登場するケーキの、甘くおいしそうに見えることといったら。

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■0280「鉄コン筋クリート」

 息を飲むシーンの連続。マイケル・アリアス監督のあまりにも純粋な情熱と、STUDIO4℃ の高い技術が結びつき、希有の密度と美しさを備えたアニメが完成した。どの場面も全力投球。高い目標を掲げ、妥協を許さないアリアス監督の執念が、びしびしと伝わってくる。完成までに9年かかった。いや完成したのが奇跡のようだ。すげぇ。夢はあきらめてはだめだ。
 声優が良い。クロ役二宮和也、シロ役蒼井優。どちらも、ぴったりとはまっている。2人は、2006年を代表する役者でもある。とくに蒼井優は、ダントツの存在感だ。おまけに、こんな才能まであるのかと、本当に舌を巻いてしまった。彼女もすげぇ。ほかの俳優たちも、違和感がない。有名な俳優が声優を務めて失敗した「ゲド戦記」とは、大違い。

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■0279「アサシンズ」

 「憎しみ」でパリの青年たちの焦躁感をモノクロの映像に深々と焼きつけたマチュー・カソヴィッツ監督の作品。ボケが始まりかけた年老いた暗殺者は、何とか後継者に自分の技術と暗殺者の倫理を伝えようとする。しかし、暗殺者の古めかしい職人的な倫理は、青年にはまったく伝わらない。そして躊躇が残る25歳の青年を飛び越し、機械的な殺人という点で老人と13歳の少年はつながる。しかし、その動機はまるで違う。三世代の孤独と断絶を描いた血なまぐさいブラックユーモアと呼んでいいかも知れない。
 暗殺者の圧倒的な存在感や銃弾の重さが伝わってくる描写、そして青年の銃殺による唐突な展開には、監督の力量が発揮されている。ただ、「憎しみ」に比べ、監督の腰が座っていないように感じた。暴力描写に対するマスコミの批判が、相当にこたえているのだろう。だからといってテレビの俗悪さや危険性を映画の中で説明しても、力のある作品にはならない。現実の人間同士の生々しい暴力を見据え、それを映像に定着してほしい。

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■0278「茶の味」

 爆発的なエネルギーに満ちた「鮫肌男と桃尻女」「PARTY7」を監督した石井克人が、個性的な家族たちの振るまいをゆったりと描く「茶の味」を完成させた。2004年カンヌ国際映画祭監督週間オープニング作品となり、高い評価を得た。確かに奇跡的とも言える独特の雰囲気が作品を包んでいる。言葉にすることの難しい空気感、生存感、宇宙感。石井克人が目指した世界よりも、おそらくはさらに広く深い作品になっていると思う。
 この作品には、中心がない。ひとり一人のたゆたう心と家族のささやかな絆が、特異なギャグや突飛な妄想とともに淡々と映像化される。里山の美しい映像が重なり、縁側や夕焼けのように開かれた空間が広がる。俳優たちが皆さり気なく素晴らしい。我修院達也でさえ、出過ぎていない。浅野忠信の「野グソ・デビュー」の話は絶妙な語り口。中でも6歳の坂野真弥の芸達者ぶりには驚かされた。生きることのとりとめなさ、けだるさ、悲しみ、喜びを表情で使い分け、この作品を輝かせている。手書きアニメに対する熱烈なオマージュが込められていることも忘れずに、書き留めておきたい。

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■0277「キンキー・ブーツ」

 テレビで活躍してきたジュリアン・ジャロルドの映画初監督作。父親の急死で倒産目前の靴工場を相続した優柔不断な男チャーリー・プライスが、ドラッグクイーンのローラとドラッグクイーン専用セクシーブーツの開発に取り組み、工場の再生に奮闘する姿を描く実話に基づくイギリス産のハートフル・コメディ。「フル・モンティ」「ブラス」と、イギリスの感動ドラマは、こういう傾向の作品が目立つ。しかし、伝統的な靴工場が、キンキーブーツをつくる過程で、職人たちがセクシャルマイノリティへの偏見を解消し、力を合わせていくというストーリーは、特別な面白さがある。そして、対照的に見えるプライスとローラは、父親へのコンプレックスに縛られているという点で共通しているも見逃せない。
 クライマックスは、ミラノの見本市。チャーリーは、全生産ラインをキンキーブーツに絞り、ミラノのドラッグクイーンショーに工場の命運を賭けた。劇的な展開とキンキーブーツが映える華やかなショー。ローラ役キウェテル・イジョフォーの歌声と存在感は、ぞくぞくするほど。魅力的だ。一方の優柔不断だが最後は頑張るチャーリー・プライス役のジョエル・エドガートンも、不思議な魅力がある。若き日のリチャード・ギアに似ているかも。

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■0276「ぼくは怖くない」

 ガブリエーレ・サルヴァトーレス監督。山々を背にした麦畑の美しさに眼を奪われ、子どもたちの冒険に微笑みながら、巧みに物語に引き込まれた。主人公の少年ミケーレは廃屋に入り、トタンでふさがれた穴を発見。その中には1人の少年が鎖でつながれていた。そして、ミケーレは両親たちの話しを聞き、この少年と両親の驚くべき関係に気づく。のどかなストーリーは、にわかにミステリーの色を帯び始める。
 物語の背景をくどくどと説明せず、あくまで10歳の少年の視線で映画を貫いたことで、とてもスリリングな作品に仕上がった。がさつな大人たちに比べ、子どもたちが皆魅力的だったが、中でもミケーレ役のジョゼッペ・クリスティアーノが素晴らしい。絶望的な結末にせず、希望を残すラストシーンが心にしみた。ヴィヴァルディやプッチーニの音楽が効果的に使われている。さわやかさと苦さが交錯する傑作。

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■0275「北の零年」

 明治維新により、故郷を追われ、北海道移住を命じられた淡路・稲田家の武士とその家族の苦闘を描く上映時間168分の大作。吉永小百合111本目の出演作としても話題になった。ストーリーに粗さがあるものの、観終わって、確かな感動が残る。ただし北海道開拓の過酷さをリアルに再現した群像ドラマと呼ぶことには抵抗がある。むしろ気高い女性たちへの賛歌を寓話的に歌い上げていると言った方がいい。脚本は「デビルマン」の那須真知子。今回も、一歩間違えば大駄作になりかねない奇妙な脚本だ。しかし、それを厚みのある映像にした行定勲の力量は、相当なものだ。歴史大作にありがちな、図式的な単純化を避け、錯綜し奥行きのある作品に仕上げた。物語の背景にアイヌ民族の懐の深さ、知恵の深さを感じさせるのも、素晴らしい。
 さすが大女優・吉永小百合には、凛とした存在感がある。顔のアップがなければ年令は気にならない。それにしても渡辺謙が、こんな汚れ役を演じるとは思わなかった。彼が演じたことで、単なる悪役には見えなかった。志乃の娘・多恵の役は、少女時代が大後寿々花、思春期が石原さとみ。二人ともなかなか良い演技を見せた。そして、迫力あるクライマックスでの馬たちの大熱演も書き留めておこう。
 エンドロールには、夕張でのロケを切望していた中田鉄治・前市長の名前が流れ、別の深い感慨にも包まれた。エンドロール全体に、ロケ地で協力してくれた人たちへの感謝の思いがあふれていた。

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■0274「アメリカ,家族のいる風景」

 名作「パリ、テキサス」で脚本を書いたサム・シェパードとヴィム・ヴェンダース監督が、20年の歳月を経て再び取り組んだ作品。サム・シェパードは、主演も務めている。監督の柔らかな感性が印象的だ。アメリカの砂漠や田舎の風景を生かしながら、さまざまな世代の思いを過不足なく盛り込み、静かにドラマを盛り上げる。家族をテーマにしているが、押し付けがましさは、微塵もない。「パリ、テキサス」は観ていて痛かったが、「アメリカ,家族のいる風景」の映像からは、淋しさとともに、ほのかな温もりが伝わってくる。そして、T-ボーン・バーネットの音楽が、この上ない優しさで作品を包み込む。監督のアメリカに対する思いは、「ランド・オブ・プレンティ」と、この作品で対になっている。
 元恋人ドリーンを演じたジェシカ・ラングの柔らかな強さが、この作品の核になっている。その意味では、彼女が主人公かもしれない。ジェシカ・ラングはサム・シェパードの実際のパートナーでもある。亡き母の骨つぼを抱えたスカイ役のサラ・ポーリーの切なさも、忘れ難い。彼女の背中には、きっと見えない天使の羽根がある。スカイの母親の写真は、サラ・ポーリー自身の母親である女優ダイアン・ポーリーの写真を使っている。

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■0273「アレクセイと泉」

 本橋成一監督作品。第52回ベルリン国際映画祭のベルリナー新聞賞を受賞した。チェルノブイリ原発事故で被爆したブジシチェ村。大地は放射能に汚染され600人いた村民たちは移住勧告に従って村を出た。しかし、55人の老人と青年のアレクセイ1人は、村でそのまま暮らし続ける道を選んだ。この村の中心に位置する泉の水からは、まったく放射能が検出されない。こう書くと、深刻な社会告発作品と思われるだろうが、映画はタルコフスキーの映画を彷佛とさせる美しい自然風景に満ちあふれ、家畜たちと共存したのどかな自給自足の生活が、淡々と描かれていく。ユーモアと愛おしさが全編を包み込んでいる。
 チェルノブイリ原発事故の悲劇と村の生活を支配するのどかさ。このあまりにも大きい落差に打ちのめされ、原発事故が何というおぞましいものであるかをあらためて認識せられた。この物語のストーリーは、ほとんど寓話の高みにあるが、すべて実話だというのが奇跡的。アレクセイ青年の静かだが、含蓄に満ちた言葉が、耳に残る。一之瀬正史の撮影、坂本龍一の作曲も、素晴らしい。

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■0272「シリアル・ママ」

 ジョン・ウォーターズ監督の「シリアル・ママ」には、普通の家族、普通の主婦への強烈な皮肉が込められている。コメディだが、考えようによっては結構怖い。息子がホラー映画に夢中だという理由で家庭に問題があると言い、精神科医に診てもらえという教師を車で轢き殺す、娘を振ったボーイフレンドを火かき棒で刺し殺す、家族の遠足計画をこわした急患の夫婦を惨殺、ビデオを巻き戻さない客を撲殺、秋に白い靴を履く陪審員を撲。しかも、裁判では陪審員の同情をかって無罪になる。ジョン・ウォーターズ監督といえばディヴァインが活躍する「ピンク・フラミンゴ」「フィーメール・トラブル」などのマイナーな傑作が連想されるが、「シリアル・ママ」はメジャーの中でセンスの良い悪趣味を見せつけた。

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■0271「ミミック」

 ギジェルモ・デル・トーロ監督。カメラの闊達さと臭って来そうな粘っこさ。端正さと猥雑さのハーモニー。めりはりのある映像構成は、才能を感じさせる。この種の映画は、オリジナリティを生み出すことがとても難しく、今回も「エイリアン2」を連想したが、それでも観終わると独創的な質感が残った。新生物のデザインもスマートで、「レリック」のように失望させられなかった。ハリウッド映画という窮屈な制約の中で健闘したといえるだろう。歴史を感じさせる地下鉄空間の使い方も自然だ。
 生物学者スーザン・タイラー役のミラ・ソルヴィーノが泥まみれになり、新生物を解体して内臓を取り出し、体液を身体に塗るシーンがたまらない。ただし、新生物に連れ去られた彼女が何故無事だったのかは、疑問。生みの親と知っていたとは思えない。また人間に擬態するにしても、ペースが昆虫なのだから、内臓器官まで哺乳類化することはないだろう。題名となっている「擬態」に関しては、その怖さがまったく伝わってこなかった。
 カイル・クーパーのメインタイトルが、とにかくハイセンス。ぞくぞくするほどのキレ。小手先のうまさではなく、作品をコラージュ化し遺伝子操作の恐怖を鮮やかに照らし出している。これだけで1級の作品と呼べる水準だ。

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■0270「時をかける少女」

 原作は筒井康隆 「時をかける少女」となっているが、オマージュをささげた別のアニメ作品。時間を自由に行き来するタイム・リープというSF的な設定も、高校生の日常の範囲内で行われる。人類の歴史や未来という大きなテーマは、ささやかに添えられているだけだ。SF的な映像が少なく、舞台設定が小さいことに不満を覚える人もいると思う。しかし、学園ドラマを描くためだと割り切れば、欠点は魅力に変わる。
 脚本の洗練さと、映像編集のキレが調和して、とてもテンポの良い、それでいて余韻に満ちた展開。この気持ちの良さは格別だ。細田守監督が、ポスト宮崎駿と言われるゆえんだろう。間の取り方、緩急の付け方が絶妙なのだ。雲の動きや河原の風景など背景画にも力を入れて、情感を盛り上げていた。

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■0269「フリーダ」

 信じられないほど過酷な境遇ながら、驚くほど自由で創造的な人生を送ったフリーダ・カーロを明るく動的に描いた傑作。ジュリー・テイモア監督のさまざまな遊び心が、作品をさらに楽しくしている。画家をテーマにした映画では、トップクラスの出来栄だろう。
 鮮やかな色彩に包まれ、華麗な衣装をまとったサルマ・ハエックは、美しくはつらつとしている。プロデューサ-も務めたハエックは、8年間の歳月をかけ、妥協を排して完成にこぎつけた。その情熱が映像からも伝わってくる。カーロとハエックの激しい情熱が作品を輝かせている。周りの名優たちが、個性的な役を的確に演じ、ハエックを引き立たせているのはさすがだった。

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■0268「007/カジノ・ロワイヤル」

 マーティン・キャンベル監督。アクション映画として、とても良くできていた。これまでのボンド映画のクールな既成観念を打ち破った、スピード感あふれるリアルな肉弾戦が満載。今回のジェームズ・ボンドは、空港でのカーチェイスなど超絶アクションを生き抜くマッチョな体格だ。だから、とても痛い拷問シーンが生きてくる。ストーリー自体は、悪役が小粒な感じがするものの、考える暇を与えないほど、変化に富んでいる。携帯電話が、きわめて重要な役割を持つ点が、いかにも現代的。ノートパソコンのVAIOも活躍している。
  まずオープニングタイトルに感激した。作品の核となるポーカーをイメージしたトランプの絵柄が、次々と変化していく。レトロ風に見えるが、映像処理のセンスは斬新。とても魅力的な愛すべきタイトルだ。そして、激しいアクションの連続。鉄橋アクションから大使館の大爆発までの息つく暇もないアクションシーンは、人間の限界すれすれ。しかしカメラワークがさえ、とてもリアルに感じる。公開前はミス・キャストと言われていたジェームズ・ボンド役のダニエル・クレイグは、若き時代のボンドとしては、それなりの魅力がある。新しいボンド像を生み出した。ボンドガール以上に華を添えているヴェスパー・リンド 役のエヴァ・グリーンは、聡明な美しさが一段と際立っていた。

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■0267「I.K.U.」

 「ブレード・ランナー」(リドリー・スコット監督)の有名なエレベーターのラストシーンが、「I.K.U.」(シューリー・チェン監督)のセクシーなオープニングにつながる。近未来の東京を舞台にしたサイバー・ポルノ・ムービー。タルコフスキーが「惑星ソラリス」で使用した首都高速道路も登場する。 シュリー・チェンという女性監督が、CGを多用しながら、セックス・レプリカントの行動を流れるように活写していく。ストーリーは、ひねりがなく平凡で、映像の求心力も乏しいが、トータルで評価すれば、ちょっぴり日本を皮肉ったおおらかなポルノ風B級SFかもしれない。
 注目すべきは、キャステイングだ。面白い俳優たちを集めている。レイコの七変化は、予想に反してあまりインパクトはなかったが、時任歩のねっとりとした存在感には圧倒された。そして、私にとっての最大の収穫は、Aja(あや)というアーティストとの出会い。「クスコー氏の宇宙」「赤い魚」「月の海月」というCDアルバムを発表しているほか、独創的なパフォーマー、作家でもある。人間もレプリカントも、ともに魅了してしまう美しき超絶レプリカントTokyo Roseを演じるにふさわしい逸材だと思う。

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■0266「ラブストーリー」

 あまりの面白さに腰を抜かした「猟奇的な彼女」のグランプリ獲得から1年。2003年の夕張映画祭には新作「クラシック」を完成させて参加したクァク・ジェヨン監督。残念ながら映画祭では作品を見ることができなかった。そして1年。2004年になって念願の「クラシック」を観た。どういうわけか、邦題は月並みな「ラブストーリー」に変えられていた。原題の「THE CLASSIC」には、作品を貫く重層的な意味が込められていたのに、変えた理由が分からない。
 「猟奇的な彼女」は普通の映画3本分の面白さが詰まっていたが、「ラブストーリー」はどっぷりと青春の恋愛劇に浸らせてくれる。ファンタジックなほどの純愛が展開される。パッヘルベルの「カノン」、ショパンの「悲愴」、ビバルディの「チェロ協奏曲ロ短調」などのクラシック音楽が効果的に使われている。過去(1968年)と現在(2003年)、母と娘をつなぐ物語。巧みなストーリーに泣かされながら、思わぬラストに驚かされて、さわやかな気持ちになる。クァク・ジェヨン監督の脚本は本当に素晴らしい。監督は、希代のストーリーテラーにして、珍しいほどのロマンチストだ。涙はすぐに乾くことなく、心を潤し続ける。

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■0265「猟奇的な彼女」

 ゆうばり国際映画祭2002のヤング・ファンタスティック・グランプリには、クァク・ジェヨン監督の「猟奇的な彼女」(韓国)が選ばれた。全く納得。一瞬もあきさせない圧倒的な魅力の傑作だった。映画祭参加者による投票で選ばれるファンタランド作品部門でも大賞に輝いた。全編が、こんな楽しいコメディは、そうそうあるものではない。観ている人を楽しませようという監督の思いが詰まっていた。なによりも、文字どおりパンチのあるヒロイン役のチョン・ジヒョンの魅力の虜になった。口が悪く暴力的だが、強くて華麗で美しい。頼りないけれど優しいキョヌ役チャ・テヒョンのピュアな演技も忘れがたい。

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■0264「ヘドウィグ・アンド ・アングリーインチ」

 監督・脚本・主演はジョン・キャメロンミッチェル。ロック・ミュージカルを、舞台と同じく監督、脚本、主演で映画化した。冷戦下の抑圧的な東ドイツ。アメリカへの憧れ。米兵との恋。性転換手術の失敗。相次ぐ恋人の裏切り。怒りのバンド演奏。1970年代の熱いグラムロックと、ヘドウィグの数奇な運命が共振して、心にストレートに訴えてくる。何と言っても歌の迫力がすごい。プラトンの「饗宴」にヒントを得た「カタワレ探し」という愛のモチーフは、かなり時代錯誤的だが、ヘドウィグが熱唱すると、彼の深刻な欠如感を表現していて、とても説得力がある。バンド「アングリーインチ」の異様な迫力は、ヘドウィグの不幸に支えられている。
 なげやりだったヘドウィグは、各地で演奏会を続けるうちに、次第に輝きを増していき、自分を取り戻す。ヘドウィグの夫イツハク(女装への憧れを持つ)を演じた女優ミリアム・ショアも見事。この二人の存在が作品自体を魅力的にしている。アニメの使用は、映像に変化を与えてはいるが、それほど奇抜な表現ではない。むしろ、ヘドウィグの圧倒的な切なさをやわらげる効果を上げていた。

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■0263「日本の黒い夏 冤罪」

 「日本の黒い夏 冤罪」(熊井啓監督)は、かなり抽象的な題名だ。素直に「松本サリン事件 冤罪」で良かったのではないか。映画的な盛り上げを意識的に避けた構成が心に残った。サリンによる被害者の中毒症状の衝撃的な場面から始め、マスコミや警察の対応、そして冤罪へと話を進めていくのが、普通だろう。しかし熊井啓監督は、高校の放送部が地元のローカルテレビ局を訪れるシーンから始め、冤罪事件が何故起こったのかを冷静に追求していく。物語は、たえずテレビ局の会議室に戻り、当時の状況を分析する。そして、冤罪が明らかになった後、初めて人々がばたばたと倒れる事件の映像が流れる。ちぐはぐに見えるこの構成を、下手と断ずることは易しい。しかし私は、意図的にセンセーショナルな展開を避けた監督の志の高さを評価したいと思う。あざとさが微塵もない格調の高い作品だと思う。
 冤罪事件は何故起きるのか。マスコミが犯している過ちは何か。しっかりとした事実確認よりも、不確実であってもスクープ性が優先されるマスコミの実情が明らかにされていく。それが警察の情報操作に利用される側面も。高校性の取材に応じた地元テレビ局は、取材力では他社にかなわなかったものの、事実の裏をとる慎重な報道を行った。スクープ性に傾きがちな東京主導の他社と違い、誤報の恐ろしさを知る報道部長の判断が生かされたとともに、現場取材に徹した地元の強みが発揮されたといえる。マスコミ関係者、必見だ。

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■0262「恋におちたシェークスピア」

 ジョン・マッデン監督の魔術。シェークスピアの作品を自在に操りながら、極上のラブストーリーにまとめあげた手腕に脱帽した。シェークスピア作品の映画化は多いが、シェークスピアの面白さを堪能させてくれるのは、このような遊びに満ちた映画の方だ。虚実の間を目まぐるしく行き来する映像、丁寧に重ね合されたストーリー、そして16世紀のロンドンの息づかいが聞こえてくるセット。すべてが、作品を輝かせている。アメリカ・アカデミー賞の作品賞は納得だ。配役も魅力の一つ。アカデミー賞助演女優賞に輝いたエリザベス女王役のジュディ・デンチは、貫禄十分。奔放なコメディを引き締めらながら笑いを誘う。主演女優賞のグウィネス・パルトローは、一皮むけて俳優開眼か。これまでは、あまり才能を感じなかったが、今回は女優としての花があった。そのほか、名優が多数参加し、それぞれ味わい深い演技を見せている。

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■0261「シティ・オブ・ゴッド」

 2003年の私のベストフイルム。100点満点を献上したい最高にクールな社会派作品だ。ドキュメンタリータッチの生々しさと軽快な音楽、切れの良い映像、絶妙なストーリー展開が、きっちりとかみ合って、屈指の傑作が生まれた。この密度の濃さと映画的な魅力に、打ちのめされ、幸せな時間を楽しんだ。
 作品の冒頭から、あまりのテンポの良さに引きずりこまれるだろう。さまざまな映像的な仕掛けが、押し付けがましくなく、作品を盛り上げていく。ブラジルのスラム街の血塗られた現実に肉迫しつつ、距離を置いたスタンスが素晴らしい。深作欣二監督に見せてあげたかった。観たら、きっと嫉妬しただろうな。

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■0260「アヴァロン」

 押井守監督が「GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊」以来5年ぶりに発表した作品。独創的な技術で、美しい質感を表現している。アニメ的手法を実写に持ち込むのではなく、実写をもとにアニメを製作するという方法を取っている。実写とアニメは、デジタル技術の進歩の中で、競いながら溶け合っている。
 体感型ネットワーク・ゲームの隠されたフィールドを探るというテーマは、目新しいものではない。しかし、歴史が重層化しているポーランドでオールロケし、セビア色を基調にしたスタイリッシュな映像は、間違いなく押井守の作家性に貫かれている。コーラスを多用し荘厳なまでに構築された川井憲次の音楽は、ストーリーの神話性を高めた。現実に迫ろうとリアルな異世界を描く押井守は、閉塞的な神話世界との危うい闘いを続けていく。

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■0259「美しい夜、残酷な朝」

 日本・韓国・香港の共同製作で手掛けられたオムニバス。3人の奇才監督が、それぞれの世界観で人間の愛憎、狂気、欲望を描く。そこまでやるかと思う作品ばかり。グロテスクと美がせめぎあう映像体験だ。
 フルーツ・チャン監督の香港篇「dumplings」が、もっともインパクトがあった。リー夫人(ミリアム・ヨン)は事業家の夫(レオン・カーファイ)と結婚したが、夫は若い愛人に夢中になっている。ふたたび若さを取り戻すため、大陸からやってきた女メイ(バイ・リン)が作る美と若さの特製餃子を食べ続ける。その餃子の中身は...。目新しくはないが、ミリアム・ヨンが美しい餃子を食べるときの、軟骨を砕くような咀嚼音が怖い。恍惚とした顔が怖い。ミリアム・ヨンの熱演とともに、バイ・リンの名演技も光る。バイ・リンは、秘密に撮影したヘアヌード写真を、「スター・ウォーズ エピソード3」の公開に合わせるようにアメリカの雑誌「PLAYBOY」6月号に掲載。ジョージ・ルーカス監督ら製作サイドの逆りんに触れ「スター・ウォーズ エピソード3」出演全シーンがカットされたことでも、有名。
 パク・チャヌク監督の韓国篇「cut」は、一番派手な展開。若手映画監督のリュ・ジホ(イ・ビョンホン)を、エキストラしていた男が破滅させるという展開。かなりのエグさと強引さ。イ・ビョンホンも甘いイメージをぶち壊す演技だったが、妻役のカン・ヘジョンも信じられない汚れ役。三池崇史監督の「box」は、正直失望した。一番力がない。ラストもお笑いになっている。いろいろと仕掛けをこらしてはいるが、物語が破たんしている。このテーマでの長谷川京子の主演は無理がある。

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■0258「ミリオンダラー・ベイビー」

 危うさはあるが、悪い作品ではない。無駄のない展開や印象的な会話が素晴らしいからではない。慎重なはずのクリント・イーストウッドが、マギーの家族のひどさをあまりにも誇張して描き、宗教的な論争が起きるであろうラストシーンをあえて選んだ「脇の甘さ」に、ほっとした。 冷徹と感傷、崇高とあざとさが紙一重で共存している。
 マギーを演じたヒラリー・スワンクの演技を超えた演技は、鬼気迫るものがある。物語の展開とともに鍛えられていく身体。ボクシングも上達していく。そして、試合で鼻骨を折られたり、自分の舌を咬み切ったりするシーンは、スプラッターのようにすさまじい。フランキー・ダン役のクリント・イーストウッドも、枯れた演技に収まらない熱情をみせた。

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■0257「富江」

 漫画「富江」は、伊藤潤ニの代表作というだけでなく、日本のモダンホラーの高い水準を示す傑作といえる。彼の並外れた画力は、奔放な奇想を見事に現実化する。「富江」の映画化は待ち望んでいたものの、日本の映画では再生や変身の大掛かりなCG化は望むべくもなく、無惨な結果になることを恐れてもいた。しかし及川中監督は、原作のおどろおどろしさを残しつつも特撮を多用せず、思春期の少女たちの愛と憎しみに焦点を当てて、荒削りながらまずまずのレベルでまとめあげた。
 富江の友人・泉沢月子役中村麻美は、「ファザー・ファッカー」から俳優として予想以上に成長していた。ときに緊張が薄れるが、ヒロインにふさわしい存在感がある」「富江役の菅野美穂は、伊藤潤ニの希望だそう。振幅の大きな演技はさすがだが、18歳にしてはやや年を取った。洞口依子ら脇を固める配役は納得のいく人選。鑑識役で伊藤潤ニ本人が出演しているのも嬉しい。

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■0256「マシニスト」

 薄気味の悪い作品だ。機械工のトレヴァーは、極度の不眠症で1年間ほとんど眠れずにいた。ある日、新入りの溶接工アイバンに気を取られて、仲間の腕を機械に巻き込む大事故を起こしてしまう。しかし上司や同僚は、アイバンという男は存在しないと口をそろえる。自宅の冷蔵庫には、身に覚えのない首吊りゲームの絵が張られていた。不気味な出来事が頻発しはじめる。不眠症でがりがりにやせたトレヴァーをクリスチャン・ベイルが演じている。医学的に減量可能な限界まで30キロも体重を落として役に挑んだ。すさまじい。
 クリスチャン・ベイルの役者魂は認めるが、不気味に謎が増幅していくと、さてどんな種明かしが待っているのかと、期待も膨らんでいく。映像の不気味な雰囲気は評価するが、結末はあまりにもあっけない。謎解きになっていない。不眠症による妄想で片付けられてはたまらない。結末はもっと「マシニスト」!

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■0255「ビフォア・サンセット」

 素晴らしい会話劇をたんのうできる。派手な仕掛けの作品ばかりが映画ではない。このようなウイットに富んだ作品に出会うのも映画の醍醐味だ。9年ぶりに再会した2人が、別れの時間までの85分間にとりとめのない会話を交わしながら、徐々にそれぞれの思いを打ち明け始める。恋愛だけではなく、政治、人生にまで話題は広がる。前向きな生き方をしている2人にも押し寄せている現代の生き難さの感覚に、生々しいリアルさを感じた。イーサン・ホーク、ジュリー・デルピーとも、膨大な会話をこなしているが、とりわけジュリー・デルピーの熱演は感動的だ。
 どきどきしながら結末はどうなるのだろう、と思っていたら、何とも粋な終わり方。会話だけで、こんなにも感激する作品ができるのだとあらためて感心した。

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■0254「レッド・バイオリン」

 「レッド・バイオリン」(フランソワ・ジラール監督)は、なかなか厚味のある歴史絵巻だ。イタリアのクレモナで、1681年名匠ニコロ・ブソッティによって作成されたバイオリンは、4世紀にわたり5つの国を旅しながら、魅力的な音色と形によって、人々を翻弄していく。オーストリア修道院の孤児カスパー・ヴァイスの不幸な死が最も痛々しい。中国文化大革命時の『レッド・バイオリン』の運命が最もはらはらさせられるが、考えてみればロマ民族によって運ばれていく事自体が幸運のの積み重ねだと思う。さまざまな地域、時代を経ていくスケール感は、手ごたえがある。
 各エピソードを、タロット占いの5つの予言によってつなげているのが、やや堅苦しい。歴史をつなぐのは、バイオリンだけで十分ではないか。そこに産死したアンナの霊を塗り込める必要もない。何故赤いのかという種明かしは意外性ゼロ。モントリオールでのオークションにたえず帰ってくる構成も、繰り返されつづけると野暮ったくなる。楽器鑑定家が、複製とすり替えるという結末は映画の品を落としているように感じた。ただ、ジョン・コリリアーノの音楽、ジョシュア・ベルのバイオリン演奏は絶品。音楽を聴くだけで満ち足りた気持ちになれる。

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■0253「バトル・ロワイアル」

 国会で表現の法的規制の発言まで飛び出した深作欣二監督70歳、60本目の作品。ヤクザ映画ならどんなに残虐な殺し合いでも良くて、中学生ならR15指定になるのは何故か。理解できない。ストーリーは荒唐無稽のようでいて日本社会を考える思考実験としては、リアリティがある。問われているのは、大人社会のあり方だ。冒頭「この国はすっかりダメになりました」と言われるが、登場する子供たちは、皆生き生きとした人間的な感情にあふれている。不良も含めて、こうした子供たちを恐れている大人たちのひよわさと狂気に慄然とする。
 そして級友を殺さなければ殺されるという限界状況に置かれた15歳の中学生が、どんな選択をするのか。さまざまな道が模索されている。中でも、なごやかな雰囲気だった少女たちが、一瞬にして殺し合うシーンの異様な迫力は忘れがたい。殺りくに満ちてはいるが、スピード感にあふれ、清清しい。甘さを排し時代を突き抜ける力に満ちた傑作。ただし、ラストの『走れ』という文字は、蛇足だった。
 生徒たちは、深作欣二のテンションに良くついてきていた。群像劇としての厚味もある。ビートたけしの絶妙さは評価するとして、藤原達也、前田亜季らも難しい役をこなしていた。しかし、全員が主役という方がいいだろう。自ら死を選ぶ者、迷いつつ逃げ道を探す者たちの中にあって、決然と殺しつづけることを選んだ相馬光子役・柴咲コウの熱演が、とりわけ光った。殺しっぷリも、殺されっぷリもすごい。他者への憎悪を抱え込んだ幼年期は描かれていないが、その不幸さが手に取るように伝わってくる。

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■0252「題名のない子守唄」

 ジュゼッペ・トルナトーレ監督。ウクライナから北イタリア・トリエステにやってきたイレーナという女性の不可解な行動を、いろいろ憶測しながら見つめ続ける緊張感が、この作品の大きな魅力だ。ときおり襲う幻覚の痛々しさに、鋭く刺激されながらも、真相はなかなか明らかにならない。大きな謎を抱えながら、次第に映像にのめり込む。
 母性愛を、こんなストーリーでみせた映画は、これまでなかったと思う。ラスト近くで明らかにされる真実の過酷さに、身がすくんだ。あまりにも残酷。しかし、ラストに柔らかなシーンを置くことで、作品は悲劇に終わらなかった。いかにもトルナトーレ監督らしい。そして、モリコーネの音楽がすべてを包み込む。イレーナを演じたクセニヤ・ラパポルトの熱演は、鳥肌が立つほどだ。

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■0251「ブル-」

 1994年2月19日にエイズで死去したデレク・ジャ-マンの遺作。青一色のス クリ-ンに音楽と朗読が重なる。映像は一切 ないが、音楽と朗読によって、スク リ-ンが雄弁に語りはじめる。自らのエイズ 体験を、ブル-に託したデレクの思いが伝わ ってくる。死を前にして自らを突き放す姿は ただ者ではない。8月に行われた追悼上映会で観たときの震えを、まざまざと思い出す。希有な体験。 
死の直前のイン タビュ-映画「記憶の彼方へ」は、淡々と過 去の作品について話すデレクを静かに映し続けた。死を覚悟しながら、最後までユ-モア を失わないデレクの姿が胸に迫った。詩的で 耽美的な映像と暴力的でノイズに満ちたパン ク的な映像が巧みに融合したデレクの作品。 晩年にはコメディ・タッチも目立った。同性愛者であることを宣言し、晩年はエ イズに感染していることも明らかにしながら 差別と闘いつづけたデレクは、インタビュ-の中で「ブル-が 遺作になれば幸運だ」と語っていた。52年の生涯を駆け抜けた デレクの映像は、いつも輝いていた。見事な生涯といっていいだろう。

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