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■0232「ムーラン・ルージュ」

 「ムーラン・ルージュ」(バズ・ラーマン監督、2001年)は、ジェットコースターに乗って大掛かりなミュージカルを観る感覚。悪くない。あふれる色彩と人を食った華麗なCGに幻惑されて夢の世界を味わえる。映画や女優へのオマージュもたっぷりと盛り込まれている。「紳士は金髪がお好き」の中で歌われていた「ダイヤモンドは女性の親友」を、サティーン役のニコール・キッドマンが歌いながらきらびやかに登場するシーンは、うれし涙が出るほど。そしてクリスチャン役ユアン・マクレガーとの美しい悲恋が展開される。「象の部屋」での名曲の歌詞を生かした愛のメドレーの高揚感は、とりわけ忘れがたい。
 監督が、いたって単純なストーリーにしたのは、観客とともにとことん遊ぶためだったに違いない。前半の過剰なまでのコミカルな処理が、クリスチャンのジェラシーによって一転してタンゴを基調とした重苦しい雰囲気に変わる。その群舞もなかなか見物だ。そして、インドを舞台にした目もくらむミュージカルでクライマックスを迎える。ニコール・キッドマンとユアン・マクレガーの美声とともに、ロートレック役のジョン・レグイザモの熱演を書き留めておこう。
 19世紀末パリの「ムーラン・ルージュ」は、まさに祝祭空間。さまざまな階層の人たちが出会い、影響し合う。1977年、ニューヨークにオープンした「スタジオ54」に似ている。そういえば「 54  フィフティ・フォー」(マーク・クリストファー監督)という作品があった。現在は、日常が疑似祝祭化したために、本来の祝祭が見えにくくなっている。「ムーラン・ルージュ」という祭りを経験した後に、そんな淋しさを感じた。

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■0231「青い凧」

 田壮壮監督の「青い凧」は大躍進時代、 文化大革命と政治に翻弄される人々の悲劇を 子供の眼の高さで描いた作品。全体的に熱量 の高い傾向がある中国映画の中にあって、そ の映像の「冷やかさ」が印象的。人々は多くを語らずに死んでいき、残された者は黙々と 生き抜いていく。この映画の製作自体が、政治に翻弄され続け、幾度も撮影中止となった。その中で完 成させた監督の思いの強さが分かる。淡々とした映像から静かな怒りとともに、懐の広さが伝わってくる。

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■0230「オネアミスの翼 王立宇宙軍」

 「オネアミスの翼 王立宇宙軍」(山賀博之監督、1987年)は、ガイナックスの製作。宗教的な少女との出会いをきっかけに、世界初の宇宙飛行士に志願する青年の姿を描く。つくり込まれたアニメから、若い熱気がつたわってくる。世界観や細部の独創的なアイデアは、異様なクオリティだ。劇場公開当時は、興行的に失敗したが、庵野秀明が作画監督で参加しているほか、貞本義行、小倉宏昌、森山雄治、赤井孝美、樋口真嗣ら、現在アニメーション界を支える面々が集まっている。音楽は坂本龍一が担当した。
 ストーリー的には、青臭いという評価もあるだろう。しかし、戦火に満ちた地球を打ち上げられたロケットからながめ、平和を祈るというラストシーンには、地球全体を外から見つめることで、人類が一つになれるのではないかという切実な希望が込められている。その答えは、現実が示している。しかし国境線のない青い地球を見ることは、人類が現実を相対化するささやかな力になるだろう。

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■0229「東京マリーゴールド」

 「東京マリーゴールド」(市川準監督、2001年)は、冒頭「ほんだし」発売30周年記念作品と大写しになり、思わず苦笑した。樹木希林と田中麗奈だものなあ。確かに大切な場面で味噌汁が登場していた。田中麗奈初の大人の恋愛もの。1年間で終わるせつない恋を、1年間で枯れてしまうフレンチマリーゴールドに例えている。これを未熟な恋愛とみる向きもあるだろうが、1年で別れなければならないという緊張感が、恋を情熱的にしたともいえる。古今東西、ハンディがあるほど燃え上がるのが恋愛というものだ。
 さまざまな東京の風景が切り取られ、その空気がただよってくる。市川監督お得意のシーンだが、エリコの揺れ動く心と共振し、現在の東京を浮かび上がらせている。そんな市川流の心地よいスケッチを揺さぶるのが、芯の強そうな田中麗奈の存在感、その瞳だ。恋に振り回されながらも、懸命に自分らしさを保とうとする彼女の決断が、この作品を爽快な青春映画にしている。

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■0228「友へ チング」 

 「友へ チング」(クァク・キョンテク監督、2001年)は、鮮烈だ。チングとは、古くからの親友の意味。1970年代後半から90年代前半のプサンを舞台に、4人の男たちの友情を描いた感動作。無理に泣かせようとしない抑制が、かえって深い感動を残す。1970年代のプサンを描いたノスタルジックな風景は、韓国の中年の人たちには、ジーンとくる場面だろう。プサンの名所が次々に登場し、4人が高校から映画館まで駆け抜けた通りは「チング通り」と命名されたという。このシーンから、映画は急にテンポを上げ、より輝きはじめる。そして、暴力が目立ちはじめる。映画館での乱闘シーンの迫力に驚いたが、ヤクザの血で血を洗う抗争のリアルさもすさまじい。フイルム・ノワールの味わいだ。
 クァク・キョンテク監督が、プサンでの実体験をもとに、書き上げた半自叙伝的な作品。監督に近い立場のサンテクが、少し善人すぎる以外は、どの人物も造形がしっかりしている。そして俳優たちが、素晴らしい演技をみせる。ユ・オソンは、ジュンソクの強さと弱さを演じ分け、人間的な魅力を十分に引き出している。ジュンソクと心ならずも対立するドンス役チャン・ドンゴンは、陰影のあるしなやかな演技。刺し殺されるシーンの見事さは、長く記憶に残るだろう。紅一点のジンスクを演じたキム・ボギョンは、とてもチャーミングだった。

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■0227「魚と寝る女」

 2001年ブリュッセル国際ファンタスティック映画祭グランプリ受賞「魚と寝る女」(キム・キドク監督、2000年)。不思議な作品である。墨絵のように幽玄で美しい湖に叙情的な音楽が重なる耽美的な映像。優れた日活ロマンポルノのような情念あふれる猟奇的なストーリー。そして、寓話的なラストシーン。釣り針の束を飲み込み、それを引き抜くという痛覚を刺激される場面もあるが、シリアスにみせかけたコメディのようにも思える。魅力的というば魅力的、中途半端というば中途半端。
 何といっても、一言も口を聞かず、いつも不機嫌そうにしている官能的な釣り場支配人のヒジンを演じたソ・ジュンに最大級の賛辞を送ろう。スタイルもルックスも美形の俳優なのだが、釣りのえさのミミズを食いちぎったり、カエルをたたき潰して皮を剥いだり、股に釣り針の束を押し込んだりと、怪演の域に達している。

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■0226「折り梅」 

 今も、全国各地でボランティアによる自主上映会が続いている社会派作品「折り梅」(井久子製作・監督、2002年)。この作品には、社会派作品にありがちな感傷性や説教調がみじんもない。家族や人間の生き方を描いた、極めて深い人間ドラマだ。映画として一級の出来といえる。
 世話するために引き取った義母・政子が、アルツハイマー型痴呆症を患って奇行を繰り返し、主婦の巴をはじめとする家族4人は、深刻な危機を迎える。しかし、グループホームに入れる日、政子は巴に実の子にも話していない自分の過去を整然と話し始める。巴の中の痴呆のイメージが変わる劇的な場面だ。そして、痴呆が進む政子に、絵画という思い掛けない才能が開花する。私の痴呆観も大きく変化した。それは、人間の豊かさの再認識でもある。
 梅が、こんなにも深く、美しいイメージとともに映画の中核に位置する作品を私は知らない。「折り梅」という言葉が、高齢者のメタファーとなって、魅力的に立ち表れる瞬間が素敵だ。吉行和子、原田美枝子という名俳優は、競い合うのではなく、響き合うように感動を高めていく。吉行和子が添い寝した原田美枝子の胸に触って甘えるシーンが素晴らしい。子役たちも健闘している。加藤登紀子、金井克子、りりィは、3人とも印象的な役で登場する。

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■0225「ガールファイト」


 「ガールファイト」(2000年)は、2000年サンダンス映画祭でグランプリ、最優秀監督賞を受賞した。カリン・クサマ監督は、父親が函館出身、日米ハーフの女性監督。20歳前半にボクシングを始めた経験を持っている。孤独で禁欲的なボクシングの決勝戦で、恋人たちを闘わせるというアイデアは、なかなかのもの。攻撃的でひたむきなラブシーンだ。ここには「ファイト・クラブ」(デイビッド・フィンチャー監督)のような、屈折したいかがわしさはない。まっすぐなに青春映画に素直な賛辞を送ろう。
 何といっても、ダイアナ・グズマン役のミシェル・ロドリゲスを賞賛しない訳にはいかないだろう。まず、オープニングでの、むき出しの怒りをあらわにしたまなざしが衝撃的。全身から日常への激しいいらだちを放っている。そんな彼女がボクシングの試合を見つめる時には、はっとするような可憐な表情をみせる。この落差がリアルだ。トレーニングに励むひたむきな横顔も美しい。フラメンコのリズムをアレンジしたテオドール・シャピロの音楽も印象に残った。

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■0224「トラフィック」

 スティーブン・ソダーバーグ監督が、アメリカとメキシコを結ぶ巨大な麻薬組織に迫った渾身の傑作「トラフィック」(2000年)。ひとまず、そう言っておこう。アメリカとメキシコを色彩によって描き分け、麻薬をめぐるさまざまな場面が浮かび上がる。困難を極める麻薬との闘い。その深刻さを映像に刻み付け、映画は静かに終わる。複雑な展開が完璧に決まったとはいえないが、安易な解決を避け手応えのある作品に仕上がっている。ただ、ラストシーンは麻薬問題を家族の問題に狭めているような印象を与えたかもしれない。
 大勢の人物が登場するが、実に手際良く動かしている。ただ、不満はある。優等生キャロラインが麻薬に手を染めていく過程は、もう少し彼女に寄り添ってほしかった。警官ハビエールの頑固さ、信念の強さは伝わってきたが、それが何によって支えられているのかは理解しづらい。前宣伝が盛んだったマイケル・ダグラスとキャサリン・ゼタ=ジョーンズの夫婦初競演。マイケル・ダグラスは、主役ではあるが、やや弱気な役。今回存在感を放ったのはキャサリン・ゼタ=ジョーンズの方だ。華麗な小悪魔性が、貫禄ある悪魔性に成長していた。怖かった。

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■0223「ゴダ−ルの新ドイツ零年」

 ベルリンの壁崩壊後の欧米の混乱時の、 ゴダ−ルの確固とした姿勢は見事だった。劇場公開は日本が初めてという「ゴダ−ルの新ドイツ零年」(1991年) 。ヘ−ゲルの『哲学史』を中心に、おびただしい数の音楽、絵画、写真、文学を引用することで、多面的に現状を見据えていた。62分。「歴史の終焉」が叫ばれていた当時の状況を、まさに歴史の中で相対化してみせた。 悲愁に満ちながらも凛した映像の美 しさ。その凝縮された孤独な映像を通じて、ゴ ダ−ル自身の孤独にも触れたように思う。

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■0222「リトル・ブッダ」

 ベルトルッチ監督の「リトル・ブッダ」(1993年) は、子供だましかと思っていたが、極めて具 体的な説得力があった。一人のチベット僧が女性、西洋人など3 人に転生するという着想も、微妙なズレを孕 んだ輪廻転生譚として興味深かった。それまでのベルトルッチは歴史のなかで の人間の葛藤を描きつづけてきた。しかし、 この映画は葛藤なき静けさが支配している。それを批判的にみる人は多かった。ベルトル ッチ自身、は っきりと「東洋への逃走」と言っている。この自覚はさすがだと思う。ベルトルッチは、西洋の限界につき当たって東洋にのめり込んでいった。その横断の冒 険に対し、彼はゴダ−ルの不動性、閉鎖性を 批判する発言を行っていた。ベルトルッチは ものすごくゴダ−ルを意識していた。

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■0221「ZOO」

 ヨーロッパの公立動物園の動物学者オズワルド、オリヴァー兄弟は自動車事故で同時に妻を亡くし、車を運転していた女アルバと兄弟の間に愛が生まれる。「ZOO」(ピーター・グリーナウェイ監督、1985年)は、腐乱死体やカタツムリの群などグロテスクな描写と、シンメトリーの映像構成、人物配置の妙が不思議な雰囲気を醸し出していた。フェルメールなどバロックの影響も顕著。人間ドラマというよりも、対比の面白さを狙った美術映画だと思う。ピーター・グリーナウェイの作品では、人間は構成物の一つにすぎない。

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■0220「シュレック」

 心優しい怪物の恋と冒険を描いたCGアニメーション「シュレック」(2001年)。アンドリュー・アダムソンとヴィッキー・ジェンソンの監督デビュー作品。日本語吹替え版(濱田雅功、藤原紀香、山寺宏一、伊武雅刀)で、テンポ良く気楽に楽しんだ。藤原紀香がいい。
 孤独に暮らす怪物を主人公にし、ストーリー展開でも数々の毒をちりばめた奇作。美しいフィオナ姫は、陽が沈むとシュレックと同じ怪物になってしまうという設定が秀抜。そして彼がキスすると姫は昼でも怪物の姿になり、二人はめでたく結ばれる。一見、反ハリウッド的に見えて、実は単なる裏返しでしかない。美しいと醜いという価値観は揺らがない。

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■0219「OUT」

 極限的にシリアスな状況だからこそ、ギャグが効いてくる。「OUT」(平山秀幸監督)は、死体解体という猟奇的なストーリーながら、会話劇の面白さをふんだんに盛り込んでいる。コンビニ弁当を手際良くつくる流れ作業のシーンが、死体解体の手際良さにつながっていくのが、何とも秀抜。家庭崩壊、老人介護、借金地獄、家庭内暴力という危機的な状況、閉塞した人生から脱出しようとする主婦の切実さと、タフさ、そして滑稽さを開放感あふれる演出で描いた。崖ッぷちを楽しんでいるかのような、生き生きとした女性たちの掛け合いが愉快で、見ごたえがあった。
 倍賞美津子、原田美枝子、室井滋、西田尚美という4人の絶妙ともいえるキャスティング。平凡な主婦というには華があり過ぎる個性的な名優ぞろいだが、それだけに屈折した人物像をくっきりと浮き上がらせていた。バラバラに見えながら緊張関係を保ち、やがて友情の深まりを見せる。若手の西田尚美は、3人の貫禄ある演技に対して、あっけらかんと軽く無責任に生きるキャラクターを際立たせて、別な意味で存在感十分。不思議に憎めなかった。男性陣では、香川照之が狂気をただよわせた良い味を出していた。間寛平も、新境地を開拓した。

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■0218「ショコラ」

 ラッセ・ハルストレム監督の、とろけるようなファンタジー。おいしい食べ物が人々の心を解き放つというテーマは「バベットの晩餐会」を連想させるが、この作品にはチョコレートのように、ほのかに官能的な香りがただよっている。辛らつさをひかえめにして心地よく終わる。登場人物一人ひとりを丹念に描き分けるあざやかな手さばきは、あいかわらず。脚本は緊密で、コミカルな会話を楽しむうちに人物像と人間関係が浮かび上がる妙技だ。
 尖った役が多いジュリエット・ビノシュも、今回は甘い笑顔が魅力的。「ポネット」(ジャック・ドワイヨン監督)で4歳にして天才的な演技をみせたヴィクトワール・ティヴィソルは、面影を残したまま可愛らしく成長していた。ココアを飲んだように心が温かくなった。ジュディ・デンチの自然体の貫禄にあらためて脱帽。キャリー=アン・モスが、古風な母親を演じていたのにも驚いた。そしてジョニー・デップの粋なしぐさ。ミュージシャンだった彼だが、映画では初めてギターを弾いている。レイチェル・ポートマンの静かに心にしみてくる音楽とともに、なかなか聞かせる。

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■0217「ポネット」

 「ポネット」(ジャック・ドワイヨン監督)は、4歳児の演技なので、ドキュメンタリー的な手法か、部分的な出演かと思っていたが、最初から最後まで物語に合わせて膨大な会話をこなし巧みに演技していた。交通事故で突然母親を失ったポネットは、周りの大人や子どもたちとかかわりながら、死と生を理解していく。いじめっ子に「ママが死ぬってことは、子どもが悪い子だからだ」と言われ、「あたし、死にたい」と涙するシーンでは、もらい泣きさせられた。1996年ヴェネチア国際映画祭主演女優賞受賞は、当然の結果だ。ただ、墓地で唐突に母親が現わる展開には失望。ヴィクトワール・ティヴィゾルの名演技に沿った、自然な受容のスタイルがあったはずだ。

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■0216「バベットの晩餐会」

 「バベットの晩餐会」(ガブリエル・アクセル監督、1987年)は、デンマーク映画。19世紀後半のデンマークで質素な生活を送っているプロテスタントの村人たちとカトリックの国フランスからやってきた女性バベットとの出会いを食を通じて描く。バベットは、パリ・コミューンで家族を失い亡命、プロテスタント教会の家政婦として働く。牧師の死後弟子たちのいさかいが深まる中、父の生誕百周年の晩餐を開くことになる。そのとき、バベットの宝くじが一万フラン当たり、バベットは晩餐会でフランス料理を作らせてほしいと頼む。バベットは、コミューン以前「カフェ・アングレ」の女性シェフだった。贅沢な食材による料理は次第に村人たちの心を解きほぐしていく。食文化の相対化、食による和解というテーマを静かに訴えた佳品だ。

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■0215「聖なる嘘つき その名はジェイコブ」 

 「聖なる嘘つき その名はジェイコブ」は、邦題はひどいが佳作である。いわゆるユダヤ人収容所、ゲットーの物語だが、軽妙さを貫くことで悲しみを引き出した「ライフ・イズ・ビューティフル」(ロベルト・ベニーニ監督)とは別の方法で、ユーモアを生かしている。ヒトラーを取り上げたブラックジョークを持ってきて「冗談を言うことが我々を支えている。他はドイツ人に奪われた」とジェイコブに語らせる導入部がうまい。
 極限状態の中で生きる人々を、それぞれ生き生きと個性的に描き分ける見事さ。ベテラン俳優たちがそろっている。主人公ジェイコブ役のほかに製作総指揮も務めたロビン・ウィリアムズの演技は、とりわけ素晴らしい。このところの軽めの大袈裟さが微塵もない絶妙な表現力。嘘をついても真実を話しても、結局人を死なせてしまう立場に置かれたジェイコブの苦悩と悲しみがひしひしと伝わってくる。だから、少女とのつかの間のダンスの場面で涙が出た。

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■0214「ライフ・イズ・ビューティフル」

 「ライフ・イズ・ビューティフル」(ロベルト・ベニーニ監督)は、アメリカ・アカデミー賞で三冠に輝いた。ナチスのユダヤ人強制収容所を舞台にしているが、「シンドラーのリスト」(スピルバーグ監督)とは全く違う視点で、人間の生きざまを描いている。虐殺の歴史を十分に踏まえた上で、家族愛と笑いに包みながら過酷な時代を生き延びるための機知の力を示した。題名が、スターリンの放った暗殺者を待つトロツキーの言葉から取られているように、コメディの底に、ベニーニの真剣なまなざしが込められている。ただ、グイドの生い立ちをもう少し加えていたら、物語がより膨らんだはずだ。
 ジョズエ役のジョルジオ・カンタリーニが、とても可愛い。この子を救うために父親のグイドは、収容所の生活がすべてゲームで「うまく隠れると点数がもらえ、ゲームに勝つと戦車がプレゼントされる」と信じ込ませ、自分が銃殺される時も、最後までゲームであるように陽気に振る舞いつづける。その勇気に胸が熱くなる。

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■0213「ザ・セル」

 「ザ・セル」(2000年)。拉致されている被害者の居場所を知るために、意識を失った犯罪者の意識に入り込むという発想自体は、ありふれたものだ。しかし、錯乱した精神世界を奔放に映像化しようとするターセム監督にとっては、またとないキャンバスだった。さまざまな倒錯的な映像が、尖った美意識でフォルム化されている。不気味で残酷で、しかし美しい世界。ぞくぞくする。既存のアーティストのアイデアを寄せ集めた感があり、個々のシーンの独創性は少ないものの、ここまで徹底すれば新しい映像地平といえるかもしれない。衣装の石岡瑛子も大健闘している。
 少年期に虐待を受け深いトラウマを抱えて猟奇的な殺人を繰り返す犯罪者カール・スターガーをヴィンセント・ドノフリオが演じている。絶句するほどの迫力。彼の代表作の一つになるのでないか。そして、彼の意識に入り込む精神科医キャサリン・ディーンは人気絶頂のジェニファー・ロペス。 現実世界の意志的な性格と、精神世界でのめくるめくような七変化の対比が楽しめる。

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■0212「ごめん」

 小学6年生の性と恋の目覚め、そして葛藤を描いた、これまでにありそうでなかった物語「ごめん」。巧みな構成が、ラストの疾走へと爽やかにつながる。観終わって、これほど嬉しくなった作品も珍しい。まさに快挙といえる傑作。冨樫森監督の映像は、気取っていない。しかし、的確に鋭く感情をすくい取る。静かによどみなく物語を盛り上げる。素朴でありながら、美しさと緊張を保っている。簡単にできることではない。この作品は、冨樫監督があこがれ、かつて助監督を務めた故・相米慎二監督にささげられている。
 主人公セイ役の久野雅弘は、掛け値無しの逸材。並みの「天才子役」ではない。最初は、とぼけたしょうもない小学6年生なのだが、ラストの格好の良さはまぶしいほど。上手な演技が鼻につかないほど、天才的にうまい。ナオコ役櫻谷由貴花も、初出演とは思えない熱演ぶり。セイの父を演じた國村隼が、魅力的なのに驚く。

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