どうやら、私たちの世代は、名付けようもない時期に位置し、そして、名付けようもなく死んでいくのだろう。まあ、それは、いい。これまでのおびただしい人々と同じなのだから。世代に対する名前など、学者の暴力的な画一化に過ぎない。無視するのも、一つの選択だが、しかしながら、当事者として、ささやかな言葉を残すことが、インターネット時代の一つの選択とも言えるだろう。何も残さずに生き、そして死んでいくという美学もあるが、それは、そうとうに使い古されたスタイルでもあるから。さて、のんびりと、この時代と、そして歴史を振り返ってみたい。第2次世界大戦前後の、血なまぐさい動乱とは違うものの、この10年間は、明らかに戦場だった。そして、これまで経験したことのない未曾有のアイデンティティの崩壊だった。
とりあえず、私たちの獲得したテクノロジーを紹介しようか。
(1)現実を多層的に観ること。電脳コイルは、とても重要なメタファーだ。
(2)常に歴史的な視点で現在を観ること。
(3)社会や、世界を、空間的な広がりとして観ること
つまりは、たえざる自己相対化を快感とするということだろう。
1970年代に世界でも、日本でも非常に優れた生きるスタンスが提示されたが、あっという間に忘れ去られた。それは、おそらくは現代における、ダビンチ的なスタンスだ。
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