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2012.07.27

■「ブラック・ブレッド」スペイン内戦後の悲劇をリアルに描く

映画「ブラック・ブレッド」。黒パン。貧しさの象徴です。スペイン内戦後の貧富の差が生み出した悲劇を、子供の視線で描いています。監督は、スペインのデヴィッド・リンチと称されるアグスティー・ビジャロンガ。しかし、リンチ的なタッチは少なく、冷たいリアリティが前面に押し出されています。

「ブラック・ブレッド」は、父が何者かに殺され殺され、子供とともに馬車が谷底に落とされるショッキングな場面から始まります。このシーンの異様な迫力で、まがまがしいダークファンタジーが始まるのかと期待が膨らみましたが、閉塞的な大人社会のやり切れなさばかりが目立ちました。

11歳の少年アンドレウが、過酷な現実の中で成長していく物語ですが、鈍いのか、鋭いのかつかみ所のない少年で、なかなか共感できません。むしろ、アンドレウに対して大人びた態度をとる、手の指を爆弾で失ったヌリアという少女の抱える深い闇の方が、胸に迫りました。

こういう徹底的に救いのないストーリーにリアリティを感じていた時期もありましたが、今では、同じくスペイン内戦の悲劇を描いた「パンズ・ラビリンス」のように、深い絶望の果てに、きらびやかな幻想が広がる作品が好きになりました。それは、楽観的になったというわけではなく、逆なのでしょう。

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2012.07.25

■映画「少年は残酷な弓を射る」この邦題について書くだけで、ネタバレと怒られてしまいそうです

「少年は残酷な弓を射る」は、映画「We Need to Talk About Kevin」の邦題です。この邦題について書くだけで、ネタバレと怒られてしまいそうです。また、高い評価を得ていますが、私は辛い評価です。展開が納得できません。しっくりきません。たぶん宗教の違いによるのでしょう。

リン・ラムジーが共同脚本と監督を務め、主人公の母親エヴァ・カチャドリアン役をティルダ・スウィントン、夫フランクリン役をジョン・C・ライリー、息子ケヴィンをエズラ・ミラーが演じています。スウィントンは熱演、エズラ・ミラーも妖しい魅力を放っています。

原作は、少年の母親が夫に宛てた手紙という一人称形式の小説です。映画でも主観的なシーン、宗教的な幻想シーンが繰り返されます。少年が大きな過ちを犯したことが予想できますが、その事実は、なかなか明かされません。この構成は好きになれませんね。

一番の不満は、少年の内面がまったく読めない点です。小さいころからの少年の行動が、母親への屈折した愛情によるものであるようにも見えますが、それだけでは理解できない点が多過ぎます。あたかも、オーメンのダミアンのように写ってしまいます。

作品としては悪くないのに、どうにも納得できない、しっくり来ないまま終わる作品に、たまに出会います。「少年は残酷な弓を射る」も、そういう映画でした。スウィントンのファンとしては、とても残念です。

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2012.07.24

■「ヘルタースケルター」は監督の作家性と女優の話題性が出会ったタイムリーな作品

映画「ヘルタースケルター」は監督の作家性と女優の話題性が出会ったタイムリーな作品でした。主人公の壊れ具合と共振しながら壊れていく映像。消費される側の哀しみ、消費する側の無責任さ。シリアスさとともに、娯楽性もたっぷり盛り込まれた佳作です。

岡崎京子の原作コミック『ヘルタースケルター』は、全身整形の美女りりこが、芸能界の欲望の渦の中でトップスターになっていく物語です。1996年連載終了直後、岡崎は交通事故に遭い重体となり、その後は作品を発表していません。第8回手塚治虫文化賞マンガ大賞に輝いています。

蜷川実花(にながわ・みか)監督は、原作権の関係で7年間待ったといいます。「しかし『ヘルタースケルター』以外にやりたい作品はありませんでした。女の私が撮ることで、りりこを通じて女性の感覚を代弁できるかもしれない。7年待ったことで逆にベストのタイミングになった気がします」と監督は話しています。

りりこ役の沢尻エリカ。熱演というレベルを超えて、りりこと同化しています。心身ともに崩れていくリアリティに、ぞくぞくします。話題性というだけでなく、この作品にとって、またとない女優を得たといえます。まさに、ベストのタイミングでした。こういう奇跡は、なかなか起こりません。

蜷川監督は、写真家としてのキャリアを最大限に発揮した映画づくりをしています。りりこが表紙を飾る多数の雑誌が登場しますが、実際に売っている雑誌ばかりで、表紙の写真は蜷川監督が撮影したものです。映画の中で撮影されたパルコのCMが、テレビ放映されています。

特筆すべきは、りりこの部屋の見事さです。色彩も装飾も派手で、シュールな世界ですが、とても現実感があります。まさに、りりこの部屋。家具や小物の半分以上が蜷川実花監督自身のものであると、後で知りました。そして、美意識の統一感に激しく共感しました。


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2012.07.17

■映画「ニーチェの馬」という体験

ハンガリーのタル・ベーラ監督の「ニーチェの馬」を観たというよりも体験して、どう言葉にして良いか迷っていました。映画の持つ強い力を実感させられますが、劇場でフイルムで観なければ伝わらない作品です。映画の原点に連れて行かれ、打ちのめされる、モノクローム作品です。

ムチに打たれ疲れ果てた馬の首を抱きしめた後に精神が崩壊したという哲学者ニーチェの話は有名です。しかし、そこから馬のその後を描くという「ニーチェの馬」の発想は、驚くほど斬新な発想です。しかも、人生の困難さをとらえかえすというテーマに直結していきます。

馬は、初老の男とその娘とともに淡々と生きています。馬は、食事をしなくなり、働かなくなります。日常が次第に崩壊していきます。起床、着替え、食事、馬の世話、就寝。単純な繰り返しに見える生活を長回しで映し続けます。それが、とてつもなく新鮮に写ります。

6日間が過ぎ、世界は静かに破局を迎えます。闇に包まれる中、初老の男は絶望した娘にじゃがいもを食べるように促します。タル・ベーラ監督は従来の映画の派手な終末に対して「本当の終末というのはもっと静かな物であると思う」と話しています。日本の現状を思い、ぞっとしました。

34年間の映画人生を振り返りタル・ベーラ監督は、「ニーチェの馬」が最後の作品と語ります。「自分の仕事は終わったと感じている。言いたいことはすべて語りつくした。これが、最後の言葉。人生はどう終わるのかについて触れる映画を作りたかった」。それは、かつてない力で迫ってきます。

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■映画「ニーチェの馬」という体験

ハンガリーのタル・ベーラ監督の「ニーチェの馬」を観たというよりも体験して、どう言葉にして良いか迷っていました。映画の持つ強い力を実感させられますが、劇場でフイルムで観なければ伝わらない作品です。映画の原点に連れて行かれ、打ちのめされる、モノクローム作品です。

ムチに打たれ疲れ果てた馬の首を抱きしめた後に精神が崩壊したという哲学者ニーチェの話は有名です。しかし、そこから馬のその後を描くという「ニーチェの馬」の発想は、驚くほど斬新な発想です。しかも、人生の困難さをとらえかえすというテーマに直結していきます。

馬は、初老の男とその娘とともに淡々と生きています。馬は、食事をしなくなり、働かなくなります。日常が次第に崩壊していきます。起床、着替え、食事、馬の世話、就寝。単純な繰り返しに見える生活を長回しで映し続けます。それが、とてつもなく新鮮に写ります。

6日間が過ぎ、世界は静かに破局を迎えます。闇に包まれる中、初老の男は絶望した娘にじゃがいもを食べるように促します。タル・ベーラ監督は従来の映画の派手な終末に対して「本当の終末というのはもっと静かな物であると思う」と話しています。日本の現状を思い、ぞっとしました。

34年間の映画人生を振り返りタル・ベーラ監督は、「ニーチェの馬」が最後の作品と語ります。「自分の仕事は終わったと感じている。言いたいことはすべて語りつくした。これが、最後の言葉。人生はどう終わるのかについて触れる映画を作りたかった」。それは、かつてない力で迫ってきます。

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2012.07.08

■アニメ「グスコーブドリの伝記」。とても丁寧につくられていますが、心にしみてきません

7月7日に劇場公開されたアニメ「グスコーブドリの伝記」は、2008年3月開催の東京国際アニメフェアで制作が公表。名作「銀河鉄道の夜」の制作チーム、杉井ギサブロー監督ということで、期待しました。
私は、「銀河鉄道の夜」が大好きです。映画評サイト「千夜千幕」で、最初に紹介しています。
■千夜千幕0001「銀河鉄道の夜」
http://cybar.cocolog-nifty.com/senmaku/2004/09/0001.html

アニメ「グスコーブドリの伝記」は、当初2009年春完成予定でしたが、完成が延び延びになり、2010年9月に制作会社グループ・タックが破産手続きを開始。完成は不可能になりました。しかし、文化庁の支援を受け、手塚プロダクションが制作する形で制作が再スタートしました。

手塚プロダクションということで嫌な予感がしましたが、杉井ギサブロー監督なので、「銀河鉄道の夜」のような見事な宮沢賢治の世界を見せてくれるだろうと公開を心待ちにしていました。見終わって、とても残念な気持ちになりました。過大な期待をしていたからではありません。

作画も音楽も、とても丁寧です。しかし、映像に起伏が乏しく、各場面の作画がちくはぐで、ストーリーも空回りしています。心にしみ込んできません。最初は原作通りに進めながら、不可解な異界を導入し、宮沢賢治の透明感を損ねてしまいました。

原作の時代そのままに原作を映像化するか、現代的に大胆に改編するか。アニメ「グスコーブドリの伝記」は、とても中途半端な形でまとめられています。とても大切なラストシーンを変えてしまったことも理解に苦しみます。犠牲死という重要なテーマをあいまいにすべきではありません。

宮沢賢治の「グスコーブドリの伝記」は、実体験が色濃く反映した多面的な作品です。イーハトーブ火山局の描写の先駆性は驚くべきものがありますが、犠牲死の美化という批判も受けています。一見アニメ化に向いているようですが、実はアニメで表現することが難しい作品だと思います。

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2012.07.05

■12012年6月映画評


★「劇場版 BLOOD-C The Last Dark」

塩谷直義(しおたに・なおよし)監督。テレビアニメ「BLOOD-C」に続いて、劇場公開されました。独立したストーリー展開ですが、人間関係がテレビアニメを引き継いでいるので、テレビ版を観てからの方が、内容を理解しやすいです。

冒頭の10分間は、息をのむほどにキレのある映像です。第1作「BLOOD LAST VAMPIRE」(2000年)を意識した地下鉄のシーンには、監督の才能が遺憾なく発揮されています。研ぎすまされた美意識を感じます。

テレビアニメの能天気な小夜(さや)とは、まったく異なる孤高小夜の声優を務めた水樹奈々は、さすがの貫禄。「貞子3D」 の貞子役で注目されている橋本愛は、声優に初挑戦していますが、やや浮いていました。

東京を支配する七原文人(ななはら・ふみと)への、小夜の復讐劇のスタイルを取っています。荒唐無稽な展開の限りを尽くし「茶番」「悪趣味」と酷評されたテレビ版の謎を、必死に解き明かしていく内容です。

東京都で強引に可決された青少年育成保護条例によって、未成年者への厳格な規制・制限が敷かれているという設定です。正面から現実の条例批判を展開していることに驚きました。

エンドロールで「助成 文化庁」の文字に、失笑が起こりました。しかしBLOODは、すでに国際的なブランドです。文化振興政策として2011年から行っている国際共同製作映画支援事業で、初年度の製作支援の対象作品の1つに選ばれました。制作経費5000万円が支払われています。

2011年7月から9月にかけて全12話でテレビ放送されたアニメ「BLOOD-C 」についても、少し説明しましょう。「BLOODシリーズ」『BLOOD THE LAST VAMPIRE』『BLOOD+』に次ぐ3作目です。「小夜という少女が日本刀で怪物を倒す」という基本設定を生かすというゆるいシリーズですが、名作の呼び名が高いシリーズをぶちこわす展開になります。

学園を主要な舞台に、昼間は学生たちの他愛のない日常が描かれ、深夜には小夜が「古きもの」と呼ばれる怪物たちと血みどろの闘いを展開します。そのコントラストが新鮮でした。夜には、スプラッターと呼べるほど、たくさんの血が流れます。

中盤になると、怪物たちは学園を襲い、小夜の同級生たちが次々に犠牲になっていきます。そして、「悪趣味」と表現される想像を絶するどんでん返しが待っています。「撲殺天使ドクロちゃん」「大魔法峠」を生み出した水島努監督の本領が発揮されています。

「BLOOD-C 」には、カフェ「ギモーブ」で小夜がコーヒーを飲むシーンが繰り返されます。ここに、大きな謎が隠されています。そして、ギモーブというフランスのマシュマロが登場します。とても美味しいのですが、とんでもない食感の象徴であることが分かります。

★「11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち」
若松孝二監督が、1970年11月25日に防衛庁内で割腹自殺した三島由紀夫と「盾の会」に参加した若者たちを描いた作品です。見終わって複雑な気持ちになりました。底の浅い作品です。

三島由紀夫の割腹自殺を描くこと自体が、タブーへの挑戦なのかもしれませんが、それだけならあまりにも作品として弱いでしょう。監督自身の立場性があいまいな点も、作品を弱くしています。今なぜ、この作品をつくるのか疑問に思います。

1970年前後の「熱い時代」を映画として蘇らせようとしているのでしょうか。しかし、三島由紀夫の複雑な葛藤を掘り下げるのではなく、あの時代の人たちは純粋で熱かったと単純化し、美化することに何の意味があるのでしょう。

三島由紀夫が死ぬ直前に書いた「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行ったら「日本」はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。」という彼の深い絶望を抜きに、あの行動について語ることはできません。

私は、この一見当たっているかに見える予言は、的外れだと思います。インターネットでさまざまな情報に触れることができるようになり、現代の日本文化の独創性や豊穣さを知りました。そして、そこに希望があると確信しています。


★「裏切りのサーカス」。
スパイ小説の作家ジョン・ル・カレの代表作を、トーマス・アルフレッドソンが監督、ゲイリー・オールドマンが主演しています。ほかの俳優たちも、渋くて良かったですが、オールドマンの格好良さは突出していました。彼のための映画です。

「裏切りのサーカス」は、東西冷戦時代が舞台です。イギリス(MI6、通称サーカス)とソ連の諜報機関(KGB)が、情報戦を繰り広げていました。スマイリーは、サーカス内部の二重スパイ「もぐら」を探します。複雑な人間関係が、巧みに解かれていきます。

スタイリッシュに見えながら、一筋縄ではいかない、なかなか意地悪な作品です。というか、その意地の悪さも含めて楽しむタイプの作品です。主人公が、ときたま水泳をしている水が、異様に濁っているのは、作品全体の象徴なのでしょうか。

ストーリーは、一見地味に見えますが、結構、人がたくさん死にます。しかし、その見せ方は、ハリウッド映画とは全く違います。派手な演出はありませんが、かなり「えぐい」です。冷え冷えとして、リアルです。長く脳裏に張り付いて消えません。


★「スノーホワイト」
グリム童話の「白雪姫」をモチーフにしたアクション映画。CMディレクターでもあるルパート・サンダース監督の長編デビュー作です。主人公スノーホワイトは、「トワイライト・サーガ」シリーズのクリステン・スチュワートが演じています。既存のイメージを打ち破るタフな白雪姫です。

悪魔の女王を演じているのは、シャーリーズ・セロン。その存在感は見事です。美貌を最大限に生かしながら、老いていく変化を際立たせています。悪魔にならざるを得なかった幼いころの悲劇も描かれ、スノーホワイトよりも人物造形に厚みがあります。

人物造形で一番面白かったのは、小人たちです。くせ者で、あまりにもアクの強い姿で登場したので、とても驚きました。しかし、なかなかの名優ぞろいです。CG処理も見事です。最後は、スノーホワイトを助けるために、とても重要な働きをします。

ダークな「白雪姫」を目指していますが、ひねりが少なくストーリーの弱さは否定できません。ただ、映像の力によって、飽きることなく見続けることはできます。最後は、ハリウッド・アクション映画の定番の肉弾戦になりますが、「白雪姫」では、さすがに無理が目立ちます。不自然過ぎます。

★「ミッドナイト・イン・パリ」。
ウディ・アレンが脚本と監督を務め、第84回アカデミー賞で脚本賞を受賞しました。ウイットに富んだ会話が交わされ、夢のような世界に引き込まれていきます。メリハリのあるロマンチックで、ちょっとほろ苦い、素敵なコメディです。

映画脚本家でありながら処女小説の執筆に悪戦苦闘しているギル・ペンダーは、婚約者のイネスとともに、パリを訪れますギルはパリに憧れ、パリに住みたいと考えていますが、イネスはマリブに住むと言います。ふたりは、すれ違い気味です。

ギルが酒に酔って歩いていると、アンティークカーが止まり、1920年代風の格好をした男女がギルをパーティに誘います。パーティには、ジャン・コクトー、コール・ポーター、F・スコット・フィッツジェラルドと妻ゼルダがいます。彼が愛する1920年代に来たのでした。

次の夜には、ヘミングウェイ、パブロ・ピカソと出会います。そして、ギルはアドリアナを好きになります。ギルは悩みますが、ルイス・ブニュエルとマン・レイは、彼の気持ちに理解を示します。エイドリアン・ブロディがダリ役で登場したのには笑いました。

1920年代のアドリアナは、もっと過去の時代を愛しています。その時代にいくと、そこの人たちは、さらに過去の時代を愛しています。過去を美化してしまいがちな私たちを、そっと指摘しながら、映画は美しいパリの雨の中に静かに消えていきます。


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