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2012.05.20

■「テルマエ・ロマエ」、阿部寛がローマ人ルシウスそっくり!

「テルマエ・ロマエ」。イタリア人の夫を持つ漫画家ヤマザキマリのコミックの実写映画化。古代ローマ人の風呂設計技師ルシウスが、現代にタイムスリップし、 日本の風呂文化に深い感銘を受けて古代ローマに持ち帰り有名になっていく物語です。実写化に当たり脚本がうまく工夫されています。

監督は「のだめカンタービレ 最終楽章」シリーズの武内英樹。クラシックのオペラを巧みに取り入れています。「のだめカンタービレ」のように、またクラシックのCDが売れるでしょう。そして、温泉や銭湯文化も見直されるでしょう。波及効果の大きな作品です。

冒頭から登場する古代ローマの建造物、群衆の見事さに圧倒されます。そして、歴史大作を思わせる重厚なサウンドトラック。荒唐無稽な物語に、リアル感を与えるために、相当な費用を投入していますが、その成果は十分生かされて見応えがあります。

物語の舞台で、映画の撮影も 行ったイタリアで開催された第14回ウディネ・ファーイースト映画祭では、インターネット 投票1位の作品が選ばれる「マイムービーズ賞」を受賞しています。ルシウスと同じように、日本とイタリアをつなぐ働きをしたわけです。

阿部寛が、ローマ人ルシウス役を熱演しています。日本の風呂文化の一つ一つに驚く姿は、コミックそのものです。やや大げさですが、程よい誇張によって、笑いを醸し出しています。漫画家志望のヒロインを演じた上戸彩も、コミカルな演技が板についていました。

現在のヨーロッパには家風呂も銭湯もありませんが、古代ローマ時代には多くの浴場がありました。一つにはヴェスヴィオ火山の影響が大きいと思います。温泉の存在。ローマと火山国日本との共通性。「テルマエ・ロマエ」は、文明論的な深さをも持っています。

「テルマエ・ロマエ」は、典型的なお風呂、温泉映画ですが、昔から温泉を舞台に、多くの映画作品がつくられてきました。「伊豆の踊り子」「浮雲」「ひとひらの雪」「秋津温泉」「駅前温泉」「卓球温泉」などなど。銭湯では「水の女」「おくりびと」が思い出されます。

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2012.05.19

■「ダーク・シャドウ」あまりにも素晴らしく、感激に打ち震えています

「ダーク・シャドウ」は、ティム・バートン監督の集大成のような作品です。すべてが洗練されてます。映画史に残る、あまりにも激しすぎるラブシーン、美しく切ない結末。そして海の底のようにブラックなユーモアで締めくくられています。あまりにも素晴らしく、感激に打ち震えています。

「ダーク・シャドウ」でジョニー・デップは、ティム・バートン監督と8度目のタッグを組みました。毎回、作品づくりを楽しんでいるのが分かりますが、今回のヴァンパイア・バーナバス役は、とりわけバートン監督と楽しみながら仕上げたことがストレートに伝わってきます。

1972年のアメリカが舞台です。ダニー・エルフマンのサントラは、暗く切ない曲調ですが、映画の中で流れる1972年当時のヒット曲は、カラフルな色をプラスしていました。ミステリアスな導入で、ムーディ・ブルースの「サテンの夜」が流れた時には、鳥肌が立ちました。

魔女アンジェリークを演じたエヴァ・グリーンは、「ダーク・シャドウ」をとても魅力的に輝かせました。「ドリーマーズ」で美しさと大胆演技が高く評価され、ボンドガールなどを演じましたが、今回の華麗な魔女役は、はまり役でした。「ダーク・シャドウ」は、代表作に数えられるでしょう。

「キック・アス」で世界中の注目を集めたクロエ・グレース・モレッツは、「ヒューゴの不思議な発明」のおとなしいイザベル役よりも、「ダーク・シャドウ」の屈折した少女キャロリン役の方が、ずっと持ち味を発揮していました。細かなしぐさやファッションなど、彼女の研究熱心さが伝わってきました。

「スカーフェイス」「危険な関係」「恋のためらい」など、1980年代のミシェル・ファイファーは、本当に魅力的でした。「バットマン リターンズ」(1992年)で演じたキャットウーマンもセクシーでした。「ダーク・シャドウ」では、年輪を重ねた女優としての貫禄を見せています。

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2012.05.12

■「ゾンビアス」は、前人未到のオナラ映画

井口昇監督の「ゾンビアス」は、とんでもない映画です。井口監督の歴史的な作品であるだけでなく、世界のゾンビ映画にとっても、記念碑的な作品でしょう。監督特有の原体験と、奔放きわまりないアイデアの連続が、前人未到の傑作を生み出しました。

井口昇監督は、B級映画のセンスをこよなく愛する監督で、毎年ゆうばり国際映画祭にも参加しています。その監督の持ち味が全開になったように、弾けに弾け、ぶっ飛びにぶっ飛んだ展開です。ここまでくると、お下劣も、清々しいです。

「ゾンビアス」は、ゾンビ映画であるとともに、オナラ映画です。オナラが印象的な映画は、「カンタベリー物語」「アマデウス」「クレヨンしんちゃん」などが思い浮かびますが、この作品のように、オナラが主人公と言えるほどオナラが活躍する映画はありませんでした。

ヒロインの女子高生・恵役の中村有沙をはじめ、ホラー秘宝3代目イメージガールの菅野麻由、グラビアアイドルの護あさなたちが、信じられないほどの頑張りを見せます。しかし、病弱な美少女を演じた優希(ゆうき)の、最後のアクションシーンは、それ以上に強烈でした。

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■「汽車はふたたび故郷へ」は、自伝であり、オマージュでもあります

「汽車はふたたび故郷へ」は、オタール・イオセリアーニ監督が、グルジアに生まれながらも、1979年からパリを拠点に活動してきた実体験をもとにした半自伝的映画です。グルジアでの検閲や思想統制を逃れて、フランスに旅立ちますが、そこでは商業主義が立ちはだかります。

映画の最初で、幼なじみ3人だけの上映で、咲き乱れる花をトラクターが掘り返した上にローラーで踏み固める映像が映し出されます。検閲の象徴です。しかし、パリでも作品はプロデューサーの編集でズタズタになり、劇場公開しても観客にそっぽを向かれます。

不自由であっても、グルジアという故郷から離れてしまうことで、監督は、大きなものを失います。再びグルジアに戻った監督は、屈折した思いを抱えます。故郷を離れざるを得なかった、多くの監督たちへのオマージュが込められています。

思うように進まない映画製作の苦悩を、ゆったりとしたリズムで、さらりと描き、最後は幻覚の中に消え去ってしまいます。過酷な現実を描きながらも、ユーモアをただよわせる不思議な味わいの作品です。かすかにタルコフスキーの香りもします。

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2012.05.11

■映画「別離」、激変するイランだからこそ生まれた緊張感あふれる傑作です

2011年のイラン映画「別離」。物語の巧みさと映像センスの良さが光りました。第61回ベルリン国際映画祭の金熊賞と、女優賞、男優賞の2つの銀熊賞を受賞。史上初の快挙でした。第84回アカデミー賞ではイラン代表作品として外国語映画賞を受賞しています。

イラン映画界の多くの著名人が、「別離」の第69回ゴールデングローブ賞の外国語映画賞受賞を評価する一方、保守系各紙はこのニュースを完全に黙殺しました。ファルハーディ監督は、製作途中でイスラム文化指導省から一時撮影許可が取り消されました。

イラン映画「別離」は、テヘランで暮らしている中産階級の家族と周囲の人たちが描かれます。母親のシミンは夫と娘とともに出国を希望。父親ナデルはアルツハイマー型認知症を患う父のを心配し、国に留まります。11歳の娘テルメーは、両親の思いに引き裂かれます。

イラン映画「別離」は、ナデルは父の世話のために妊娠していたラジエーを家政婦として雇ったことで、思わぬ事態に発展していきます。介護の難しさと、さまざまな価値観の違いが浮き彫りになります。ストーリーは、謎をはらみながらスリリングに進みます。

イランでも介護問題は深刻です。イランでは老人介護の施設が非常に少なく、介護は家族の役割で、施設に入れられる老人は不幸という社会通念が強いと言われています。イスラムの教えで男女隔離が厳格な点も介護をさらに難しくしています。映画は鋭く問題を指摘しています。

アスガル・ファルハーディー監督は、脚本を個人的な体験をもとに書いていますが、イランの格差、価値観の多様さ、誠実さの問題など、普遍的なテーマをあぶり出していきます。激変するイランだからこそ生まれた緊張感あふれる傑作です。とても重要な作品です。

母親シミン役のレイラ・ハタミ、父親ナデル役のペイマン・モアディの熱演は認めますが、さらに素晴らしかったのが11歳の娘テルメーを演じたサリナ・ファルハーディーの繊細さです。思春期の少女のもろさと強さを見事に表現していました。ラストシーンは胸に迫ります。

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2012.05.05

■「KOTOKO」塚本監督とCoccoの深い共振が映像に焼き付いています

シアターキノで塚本晋也監督の新作映画「KOTOKO」を、5日公開初日に観てきました。久しぶりの塚本映画のインパクトに打ちのめされました。しかし、主演Cocooとのコラボレーションによって、これまでの塚本作品とは全く異質なの世界が開かれていました。それでも塚本ワールドですが。

シングルマザーの琴子が息子への過剰な愛情によって、強迫的な観念にとらわれ、幻覚に悩まされる姿を通して、母性の危うさと強さを描きます。暴力的ですが、コミカルな場面もあります。尖った表現と柔らかな美術が絶妙なバランスを保っています。

2011年・第68回ベネチア国際映画祭オリゾンティ部門グランプリを受賞しています。主演のCoccoが、原案、音楽、美術も務めています。彼女の個性が塚本映画の枠を押し拡げました。震えるような大胆で繊細な作品です。

7年間介護した母を亡くした塚本監督は、母としてのCoccoと出会い、彼女の内面に迫る脚本づくりをします。「今までは自分の頭の中の葛藤を描いたが、重要な人の発想を入れることで葛藤の振れ幅が大きくなり、そこに答えを見つけていくことに、ダイナミズムを感じた」。それが生々しい表現となっています。

塚本監督は「ずっとCoccoさん主演で映画を作りたかった。長年の夢が実現して良かった。天才。やっぱりそうだと思っていた。女優として素晴らしい」と絶賛していました。監督とCoccoの深く強い共振ぶりが映像に焼き付いています。なかなか味わえない体験です。

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2012.05.02

■「バトルシップ」かなりトンデモ度の高い作品です

「バトルシップ」は、ユニバーサル映画100周年記念作品。ピーター・バーグ監督が、エイリアンの侵略部隊と各国の連合艦隊の戦闘を描くアクション大作ということになっています。でも、どうみても侵略部隊ではありません。一見、子供から高齢の方たちまで幅広く楽しめる作品に見えますが、かなりトンデモ度の高い作品です。

宇宙人は、地球から送ったビームに応えるようにして、地球にやってきますが、肝心の通信装置が事故で破壊されてしまいます。高度な科学力のはずなのに、すごくドジです。その装置が香港のビル街を破壊するシーンは、迫力あるCGを楽しむためのご都合主義です。

宇宙人の乗り物は海に降りますが、近くで連合艦隊の軍事演習が行われていたために、反応してバリアを張ります。そのバリアの中に残された3船の駆逐艦や戦艦が閉じ込められます。最初に攻撃したのは地球側です。宇宙人は反撃しますが、無抵抗なものには攻撃しません。

宇宙人は未知の武器を繰り出します。しかし高度な科学力があるはずなのに、地球レベルの破壊力のミサイルが主です。宇宙人の乗り物は、地球側の攻撃で簡単に破壊されます。重要なはずの遮光ガラスも、いとも簡単に割れてしまいます。

戦闘の舞台は真珠湾。地球側の指揮をとるのは、アメリカと日本です。アナログなアイデアや場当たり的な攻撃を繰り返します。緻密な作戦ではなく、勢いで戦います。浅野忠信が主役級で登場しますが、これまで観た映画の中で最低の薄っぺらな演技でした。

最近のハリウッド映画の宇宙人は、グロテスクな容姿をしていましたが、「バトルシップ」の宇宙人は人間そっくりです。それを評価する人もいますが、想像力がないだけでしょう。「エイリアン」や「プレディダー」くらいの造形力を発揮してもらいたいものです。

あっという間に地球に来ることができる科学力のはずが、戦闘力は地球と互角。容姿も人間と同じ。そして、行動パターンも人間的です。宇宙人である必要はないですね。「203高地」などの日露戦争を連想させるのは、当然です。懐古的な姿勢なのです。ミズーリ号も活躍します。

ハリウッド映画の「敵」は、その時代のアメリカが描く「敵」です。ハリウッド映画は、異質な他者を描くのが苦手なので、宇宙人ものは、どうしても手前味噌に陥ります。しかし、「バトルシップ」は究極の手前味噌とご都合主義でつくられています。

「バトルシップ」。エンドロールの後に続編へとつなぐシーンがあります。お見逃しなくというべきなのでしょうが、当たり前過ぎて、おまけにチャチな場面なので、観ない方が良いかもしれません。

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