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2007.07.30

■市民運動の旗手・作家の小田実、死去

 元「ベ平連」(ベトナムに平和を!市民連合)代表で、ベトナム反戦運動など市民運動の先頭に立った行動派の作家、小田実(まこと)が30日午前2時5分、胃がんのため東京都内の病院で死去した。75歳。自宅は兵庫県西宮市大浜町1の41の801。
 大阪市生まれ。東大卒業後にフルブライト留学生として渡米。南米や欧州、アジアなどを回った旅行記「何でも見てやろう」(1961年)はベストセラーとなった。
 65年には米軍の北ベトナム(当時)爆撃に反対する哲学者の鶴見俊輔さんらと反戦運動を開始。ベ平連を結成し、代表になった。大規模なデモやワシントン・ポストなど米紙へ意見広告を掲載して注目を集めた。ベ平連は米軍が撤退した後の74年に解散。その後も湾岸戦争の際には同様の意見広告を出すなど、一貫して反戦の立場を貫いた。
 1995年1月の阪神大震災は西宮市の自宅で遭遇。恒久的な公的支援の法制度を作るために奔走し、98年の「被災者生活再建支援法」成立の原動力にもなった。
 文学者としての小田実は、虐げられる側、庶民の目線を大切にしながら、民族、国、性などをつぶさに見据え、その成果を小説などに結実させた。
 デビュー作は1951年に出版された小説「明後日の手記」。デビューの2年前、高校2年だった小田さんは兄事していた作家、中村真一郎さん(故人)を通じ、当時、名編集者として鳴らしていた文芸誌「文芸」の坂本一亀さん(同)に出会い、出版を勧められた。
 若者の好奇心に火をつけ、ベストセラーになった旅行記「何でも見てやろう」(61年刊)を書くように勧めたのも坂本さんだ。
 最初の長編小説「アメリカ」(62年刊)では、米国内での人種差別などに実直に目を向けていて、後にベトナム戦争を市民の目から徹底的に批判していく小田実の文学的なスタンスが見て取れる。
 大阪のブルジョアの女生大学院生の恋愛を通じて日本の縮図を映し取った長編小説「現代史」(68年刊)、遺骨収集を素材に戦争の痕跡を描いた政治小説「ガ島」(73年刊)をはじめ、長編3部作といわれる「冷え物」「羽なければ」「円(まる)いひっぴい」(77年刊)がある。
 この10余年の間でも、終戦直後の大阪の闇市を舞台にした「大阪シンフォニー」(97年刊)、川端康成文学賞を受賞した短編「『アボジ』を踏む」(98年刊)、戦争末期の日本軍の玉砕をテーマにした「玉砕」(同)、阪神大震災をモチーフにした「深い音」(02年刊)など旺盛な創作意欲は衰えず、最期まで文芸誌「すばる」の連載を続けていた。

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